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あとがき

個人的な体験ですが、堂免信義さんの『脱・資本論』の原稿に目を通した時の衝撃は忘れられません。 特に、円という日本国の通貨をキューなる電子通貨に切り替えることで、ゼロ利子無期限貸し出しを可能にし、国債の代わりにするという提案には震撼しました。 原稿に目を通したと申し上げましたが、実は当時私が友人と経営していたインディーズLLCでアマゾンでの電子出版のお手伝いをさせていただいたのです。 そして、私個人は二十数年前に電子マネーの仕事に従事していたのです。 何たる展開!と思いました。 当時、日銀では通貨を電子マネーにする検討を進めていて、私の会社が端末やシステム開発に関するフィージビリティスタディを行っており、私は技術担当の部長としてその仕事に関わっていました。 今手元にあるこの写真は、当時ロシアで講演をした時のもので、まだ若いです(笑)。 左の髭の紳士はロシア中央銀行の総裁です。 その隣の金髪のご婦人はロシア金融アカデミーの総裁で、なんと中央銀行の総裁より偉い人なんだそうです。 なにせ、ロシアの金融界で活躍する官僚は全員金融アカデミー出身者なので、彼女には頭が上がらないとか。 そんな偉い人と並んで講演した私ですが、何をしゃべったかというと、将来おカネはコンピュータの中の数字に置き換わり、決済は世界のどこにいても瞬時に終わるようになるということと、おカネがおカネであるためには絶対に複製できないよう頑丈なセキュリティで守られていなければならず、そのためには特別のチップに入れなくてはならない、と言うものでした。 こういう話はロシア人には大変関心があるのだそうで、かの国はソ連時代からウラル山地やシベリアなどに秘密軍事都市をこしらえていたけれど、そこで必要とするルーブル紙幣をトラックで運ぶのが大変なのだそうです。それが電子マネーになれば電話線で送れるわけですから、彼らが興味を持つのは当然でした。 当時はインターネットも遅く、今のようなブロックチェーン技術もなかったので、高セキュリティを追求すればICカードになるのは必然でした。 すべてをサーバーに置き、ネットでそこにアクセスするタイプの電子マネーを提案している研究者もいたことはいたのですが、ボクらは目もくれず、ICカードの端末や電話機の開発などを進めていました。 ところが、我が日本ではスイカなどの非接触型のICカードが急速に普及し始...

経済革命(4) 資本主義は本当に救われるの?

これまで詳しく堂免信義さんの「経済革命」について見てきましたが、最後に、この方法で本当に資本主義は延命できるのか、について検討しましょう。 まず、堂免信義さんの主張する資本主義の行き詰まりの原因について整理してくれませんか。 --資本主義の生産活動を担う企業の利益は、家計と政府の赤字に支えられているので長続きしないこと。今は家計が縮小して貯金ゼロ世帯が増え、政府が赤字国債を発行してなんとかしのいでいるけど。 他には? --投資は借金(民間銀行による融資)で行われ、利子もつくので返済が大変で、しかも返済するとせっかく投資で増えたおカネが-利子も含めるとそれ以上のおカネが-社会から消えてしまうので、前の年よりたくさん投資しておカネを補充しないと返済もできなくなること。自転車操業理論ってやつ。 よくわかってきたね。 他にはないかな? 資本主義にはまだ大きな問題があるんだけど。 --格差が拡大すること、かな。 --投資を続けるということは、環境に与える負荷がどんどん大きくなり、地球のキャパシティに近づいていること。いわゆる環境破壊が限界を超えること。 そうだね。 格差の拡大、つまり少数の富める者への富の集中がなぜ起こるのか、以前にその原因について議論したことがあったけど、グローバル化という現在の世界的な交易・金融の拡大以前に、おカネは蓄積しておけるということと、利子がつけば増えるということが、富める者がさらに富むメカニズムであることは確かだね。 では、「経済革命」でこうした問題がどのくらい解決できるだろうか。 まず、最初の問題:企業利益と政府・家計の赤字の問題は解消されるだろうか? --政府の赤字は民間銀行から借金する(国債を買ってもらう)から生ずるのであって、これからはゼロ利子で返済義務のないローカル銀行からの借金でまかなうのだから、赤字にはなりません。 そうだね。そして、返済は自動的に通貨税から行われるんだったね。 --家計の赤字は、「経済革命」で社会全体が投資に向かうから、役員報酬を制限するなど分配さえ正しく行われれば大丈夫ではないかな。ただ、環境の問題は残るけどね。いつまでも投資を伸ばせないということ。 自転車操業理論についてはどうかな。 --おカネを借りて投資をする以上、返済しなければならないし、そうすれば社会全体のおカネが減るからまた投資しなければならないのは同...

経済革命(3) 税金、銀行、高齢化

これまで、堂免信義さんの「経済革命」では、円を新しい国内専用の電子通貨キューに切り替え、その発行と流通を管理する公的なローカル銀行を設立し、流通するキューの滞留分に応じて一定比率の通貨税をかけ、おカネを腐らせることを見てきました。 これにより、社会の公器であるおカネの富裕層による退蔵や企業の社内留保を減らし回転率を上げるとともに、通貨に関して一種の鎖国状態にし、地産地消(国内生産&国内消費)の推進運動と併せてグローバル化の弊害を一定程度減らすことができることがわかったと思います。 今日はその他の疑問について議論していこうと思います。 --新しくおカネに通貨税がかかるわけですが、その他の税金もとなると、重税社会になりませんか? ノンノン。反対に普通の勤め人などはかなり軽くなると思うよ。何しろ、大量の通貨を溜め込む人からビシバシ徴税するわけだから。 この「経済革命」では、税金は通貨税と相続税、間接税として小売売上税の計三本だけになり、従来の所得税や法人税は廃止されるんだ。これはすごいことだよ。しかも、通貨税も小売売上税も人手を介さず自動徴税できるから、事務は簡素化され税務署は暇になると思うよ(笑)。 --そんなに税の種類を減らして大丈夫なんですか? 堂免信義さんの試算ではそうらしい。詳しく知りたければ『脱・資本論』を読んで欲しいんだが、その前に相続税と小売売上税について補足すると、前に述べたように相続税は土地については課税せず、金融資産についてのみ課税することで土地の細切れ化を防ぐので、地球環境に優しい税制だと主張されているね。 間接税として消費税ではなく小売売上税とした理由は、消費税が製造・流通・小売の全過程で課税される煩雑なものであるのに対し、小売売上税は最終段階でのみ課税されるので、シンプルだし、税金分を下請けに転嫁するような問題もなくなると述べられています。 --消費税は所得の大小に関わりなく一律に課税するので、格差が拡大してよくないと聞いたことがありますが、売上税も同じようなものではありませんか? 良い指摘と思います。ボクも、間接税については所得の少ない人ほど負担が大きくなる、いわゆる「逆進性」があるので批判的ですが、堂免信義さんはそれを認めつつ、通貨税には富める者から貧しい者への再分配機能があるのでよしとする、と述べています。ちなみに、売上税は10%...

経済革命(2) 信用創造は国が管理

もう一つ、堂免信義さんの「経済革命」では、キューの発行管理を行う新しい公的な「ローカル銀行」を設立し、国債発行を不要とする財政を実現します。 これも実に巧妙な設計で、国債に関する最大の問題は利子の支払い負担に起因する財政の不安定化であることから、国債を発行する代わりに政府はゼロ利子で借り入れできるようにしようというものなんだ。 もちろん民間銀行ではゼロ利子貸付なんてことはできないから、それができる公的な「ローカル銀行」を作っちゃおうという発想なんだと思うよ。その代わり、今までのように民間銀行で勝手におカネを生み出す信用創造はできなくするんだ。 これまで不可能だったリアルタイムでの通貨供給量の把握は、信用創造を公的なローカル銀行が一手に引き受けることで可能になるわけだが、経済運営においてこれは凄いことだと思うよ。 --公的な銀行というのはどんなイメージですか? 政府が大半の出資を行う政府系金融機関のことで、日銀やかつての輸出入銀行(現在の国際協力銀行)のようなものだろうね。おカネというエンジンオイルは公共の財産なんだから、それを政府が制御するのは当然だと思うよ。 堂免信義さんの提案では、新しい通貨キューの発行は全てこのローカル銀行で行うとするんだ。そして民間銀行がキューを貸し出す時には、毎回ローカル銀行からキューを融通してもらい、それを貸し出すんだよ。つまり、これまでのように勝手に融資先の口座に貸し出し金額を書き込むことはできず、従って信用創造はローカル銀行だけの権限とするわけだ。 さらに衝撃的なのは、キューには利子がつかないってことなんだ。 これまで民間の銀行は借り手の口座の数字をちょこっと書き換えるだけで多額の利子を受け取ることが許され、一方投資をすることで社会におカネを供給するという社会貢献をした借り手は巨額の利子を返済させられるというのは、どう考えても不合理というしかないだろう。ゼロ利子で運用されるキューにはこうした不合理をなくす目的があるんだ。これにより --おカネを借りれば利子を取られるのは当然だと思っていましたが・・・。 それは、汗水流して働いて得たおカネを融通するというイメージの場合だろうけど、今はそれがなくてもおカネは(信用創造により)生み出せる時代だからね。そして、返済はそれでなくても大変なのに、巨額の利子まで払わなくてはならないのは借り手にとって...

経済革命(1) キューは救国のキュー

さあ、いよいよ堂免信義さんの日本と資本主義を救う「経済革命」について勉強するときがきたな。 この提案は壮大なものなので、すべてを詳しく検討することはできないけど、さわりの部分は今日の議論で大体理解できると思うよ。 詳しくは『脱・資本論』を読んで自分で考えてみてね。 まず、彼はこの「経済革命」の目的についてこう述べています。  ローカルな協力により地域の人々の生活水準が着実に向上する経済と、現行経済(グローバルで利益追求)の並列運用 "地域の人々の生活水準向上"とはっきり謳っているのがいいね。 そして、現行経済は「有利子グローバル競争型」、並列運用する方を「ゼロ利子ローカル協力型」と表現しています。二つの異なる経済システムのいいとこ取りをしようという意味です。 --それぞれの意味はなんとなくわかるけど、並列運用ってどういうことなんだろう。 たとえるなら、中国がかつて香港で採用していた「一国二制度」みたいなものかな。 中国本土は共産党独裁で、香港だけは民主制を許し、でも国としては一つだよ、みたいな。 あるいは江戸時代のように、基本的には鎖国だけど、長崎出島だけは海外に向かって開かれている、みたいな。 ただ、地理的に二つを区別するのではなく、通貨の流通場面で区別するんだ。 どんなことかというと、この経済革命方式は、国内は基本的には自国で生産したものを自国で消費する「地産地消」型の循環経済システムとし、でも海外との交易は認めるという基本方針のもとに設計されているんだよ。 そのために、国内で使う通貨を「円」から「キュー」という新しい通貨に切り替え、給与も物品やサービスの売買も全てキューを使うことにするけれど、海外とのおカネのやりとりは従来通りできるように円とキューは互いに交換できるとするんだ。 --なんのために新しい通貨を導入するんですか? まず第一は、おカネを腐らせるためさ。 経済活動の結果、儲ける人と損する人が出るのは仕方ないけれど、困るのは儲けた人がおカネを溜め込んでしまうことなんだ。そうすると社会内を流通するおカネが減ってしまうからね。 特に大きく儲けた人は全額を消費や投資に回すことはないから、今のような格差社会では余計溜め込むことになるんだ。しかし、おカネは経済を回すための「社会の公器」(堂免信義)だから、それを貯め込むのは一種の反社会的行為だな。 これを防ぐにはお...

ではどうする?

さあ、それでは錯覚については大体わかったようだから、じゃあどうすればいいのかについて考えてみよう。 まず、堂免信義さんの指摘する「経済学の錯覚」を整理してみてくれないか。 --社会全体では使ってもおカネは減らず、持ち主が変わるだけだから、誰かが儲かれば必ず誰かがその犠牲になって損をする(持ち金を減らす)という事実に気がついていないこと。 まず、それがすべての基本だね。そしてこのことから、社会全体ではおカネの総量は変わらないので、全員が儲けることはできない、となるね。言い換えれば社会全体の貯蓄はこの状態ではゼロでしかありえないということだ。 他には? --外から投資したおカネが社会全体の貯蓄になるのを、貯蓄の中から投資が行われると勘違いしていること。これは貯蓄という言葉の使い方があいまいだから、という気もするな。 その指摘は大事だね。貯蓄はあくまでその期に増えたおカネのことで、ボクらは蓄えの全額は預金と呼ぶことにしたんだったね。 --同じことだけど、国債が発行されると民間の貯蓄が増えるのを、民間が蓄えた貯蓄の中から国債が買われると勘違いしていること。だけど、時間的な順序を正確にとらえていけば、本当は間違えるはずはないと思うな。 それも大事なポイントだね。言葉遣いを正確にし、時間軸を意識して数字を追う習慣が大事だね。 さて、ではこれらの錯覚に立ち向かい、経済を正しい軌道に乗せるにはどうしたらいいと思う? 何でもいいから思いついたことを話してみて。 ただし、問題意識としては、貧困をなくすことと格差をなくすこと、そして社会が不安定にならないようにすることだから忘れないように。 --格差をなくすには、おカネ持ちからおカネを取り戻す。 ちょっと待って。持っている人から取り上げる以上、それが社会的な正当性のある行いだと社会の全員が納得していないと難しいよね。泥棒が盗んだおカネを返させるのは誰でも当然だと思うけど、ただおカネ持ちだというだけでそんなことをしてもいいのかな。 --誰かが儲けるのは他の人の犠牲を伴うんだから、その事実を皆んなが知ればいいんじゃないかな。 その考えが社会の常識になることが大前提だね。だから、まず教育から始めなくてはならないかもね。 --国債の場合だと、国からのプレゼントになっていることを知れば、それを返納させることは納得してもらえるんじゃないかな。 じゃあ...

銀行についての錯覚

今日は、銀行についての錯覚について学ぼうと思う。これも堂免信義さんの指摘なんだが、言われるまで気がつかなかったと言う意味では同じ種類の錯覚と言って良いと思うよ。 それは何かというと、世の中に新しくおカネを作り出しているのは銀行だということです。しかも、ただコンピュータで数字をいじるだけ、通帳に数字を印字するだけでそれを行っているのに、高額な利息まで取っているという話です。 --日銀がおカネを作っているのではないのですか。 日銀は、民間の銀行の要求に応じてお札を刷るけれど、おカネを新規に発行する現場は民間銀行なんだ。 つまり、ひらたく言えばこういうことさ。 君が家を建てようとして三千万円の住宅ローンを組むだろう。そうすると銀行は君の口座に30,000,000という数字を書き込み、通帳に印字する。ただそれだけで、この世の中に新しく三千万円のおカネが誕生するんだ。 ただし、この段階ではまだ数字だけ。しかし、いよいよ住宅建設業者におカネを払う時にはこれがリアルマネーとなって動き出すんだ。つまり君の口座から業者の口座に数字が移動し、業者が引き出す段階で初めてお札が必要となり、それが社会に流通していくということさ。 この時、銀行は預金という形で預かっている利用者のおカネ(お札)を使うんだけど、もしそれが足りなかったら銀行が日銀に預けているおカネ(お札)を引き出し、日銀に現金が足りなくなったら新しいお札を印刷するわけだよ。業者が別の銀行から引き出す場合も、銀行間の送金は日銀にある銀行の取引口座間で電子的に行われるから手間はかからない。 このように社会的に確かな需要の裏付け(三千万円の住宅ローン)があるからお札を印刷するわけで、日銀が新しくおカネを生み出したわけじゃない。生み出したのはあくまで民間の銀行なんだ。 これを専門用語で信用創造と言います。 --銀行は預かっている利用者の預金の中から貸し出すのだと思っていました。そういうのを間接金融と言い、株式を発行して直接おカネを調達するのが直接金融と言うと習った気がしますが。 その意味では、銀行はもはや間接金融ではなく直接金融をしていると言っても過言ではないだろうね。 間接金融の場合、貸し手は預金者で借り手は企業や家計、銀行はその仲介をして手数料を取るんだけど、これを直接金融と見れば貸し手は銀行で、借り手は企業や家計というわけだ。 もち...

経済学の錯覚

前回で議論した図をもう一度見てみよう。 この図に示したのは、左辺が産業に投入されたおカネの種類で、右辺がその最終的な行き先だから、両者は等しくなければならないよね。 そうすると、「消費」は両辺に共通だから消してよく、残りはこんな式になります。  投資+政府支出=貯蓄+納税額(税収) 税収を移項すると次の式が得られるよね。  投資+(政府支出-税収)=貯蓄 「政府支出-税収」は値がプラスなら支出の方が大きいから「政府の赤字」すなわち「国債発行額」を表していることになり、結局次のような関係式にまとめられます。  投資+国債発行額=貯蓄 ここで、投資というのは民間の投資のことだからね。税金で行われる公共投資は政府支出に含まれることを忘れないでね。 さて、この式の解釈なんだが、右辺に貯蓄と書かれているので、ほとんどの経済学者は反射的にこの式は「貯蓄の中から投資が行われ、さらに国債が買われる」と解釈しているんだ。貯蓄→投資という流れだね。貯蓄は各人・企業が自由に使えるから、そう思ってしまうのも無理はないんだが、この貯蓄というのは各期ごとの手元資金であり、預金ではないんだよね。 --堂免信義さんはこの式を何と解釈しているんですか。 投資が行われ、国債が発行されると、その全額が貯蓄になると解釈しているんだ。つまり投資→貯蓄で、経済学者の理解と逆転しているのがわかるだろう。 さらに、投資という活動があるから経済が回ることができると述べていて、もし投資がなければ、企業は利益を必要とするから 売上>賃金 の関係から賃金が減り経済は先細りとなって最後は止まってしまう、と指摘しているよ。 --でも、投資も国債も外部からのおカネの注入なんだから、それが貯蓄として溜まるのは当たり前だと思います。 それは、ボクらがこの勉強会を通じてそういう考え方に慣れ親しんできたからだよ。「投資」とか「貯蓄」という単語にだけ反応していると、貯蓄→投資という流れとしか思えないんだ。 ところで、ここでいう貯蓄とは企業と家計の貯蓄のことで、企業の貯蓄とはイコール企業利益だから、  投資+国債発行額=企業利益+家計の貯蓄 になるよね。家計の貯蓄を左辺に移項すると  投資+国債発行額-家計の貯蓄=企業利益 となるけれど、"国債発行額"イコール政府の赤字、"-家計の貯蓄"イコール家計の赤字だから、結局こんな式になることがわ...

マルクスの錯覚

堂免さんの最後の著書のタイトルは『脱・資本論』ですが、彼の議論は企業利益についてのマルクスの分析を超えているという意味でまさに的確なタイトルだとボクは思うんだ。 --マルクスは企業利益についてどんな風に理解していたんですか。 彼は資本論という有名な著書の中で、利益は資本家が労働者を搾取するところに生まれると述べています。いや、実を言うとボクも読んだわけではないが、解説書にはそう書かれている(笑)。 易しく言うと、マルクスは労働力というものを一種の「商品」としてとらえ、この商品は毎日適量の睡眠と食事を与えれば復活すると考えたんだ。資本家が労働者に給料を払うのはこの復活を保証するためで、労働者は住む家の家賃とパン代があれば毎日復活し、再び自分の労働力を商品として売ることができる。つまり、給料は資本家から見れば労働力を「再生産」するための手段という位置付けとなるんだよ。他の商品は給料などというものを必要としない代わりに復活しないから、労働力は特殊な商品ということになる。 --なんか、非人間的なとらえかたですね。 資本主義の根底には、人間をカネで買える商品ととらえるような冷酷な人間理解が潜んでいるとボクは思うな。それが現在の格差問題にも顔を出しているんだ。 さて、利益と搾取の話に戻ると、資本家は工場を作りそこで労働者にパンを作らせ、労働者はそれを食べて自分の労働力を「再生産」し、翌日もまたパンを焼く。これには1日3時間働けば十分だが、資本家は労働者をもっと働かせてワインも作ろうと考えた。そこで10時間働かせてパンとワインを生産するようになったが、給料は3時間分しか払わなかった。なぜなら、労働力商品を再生産するにはパンだけで十分だからだ。つまり7時間分の給料を搾取したわけで、これが資本家の利益になる、と考えたわけだ。 --そう聞くと、こういう考えもまたありかなと思ってしまいますが、どこがおかしいのでしょうか。 これまで議論してきたおカネの流れを見れば明らかと思う。パンとワインを買ってくれるお客さんは、社会全体としてみた場合、十分居るだろうか。 --低賃金の労働者だけでは足りませんね。 その通り。 マルクスが資本論を書いた時代には、まだ全ての労働者が資本家から給料をもらって働く賃労働者ではなく、たぶんそれ以外の人々、たとえば王侯貴族とか裕福な商人とか、あるいは農家などの非製造業...

利益はどこから?

堂免信義さんの最初の著作は『日本を滅ぼす経済学の錯覚』というタイトルです。 今日は、図らずも「犠牲者」を生み出す利益なるものについてみんなで考えてみましょう。そして、そこから明らかになる「経済学の錯覚」について論じてみたいと思います。 まず、企業の収入と支出についてざっくり説明できる人はいますか? --収入は売上でしょ。支出は原材料費と電気代や水道代などの光熱費や文具代、交通費などの雑費と、あとは従業員の給料かな。 大体そんなところだね。 支出で忘れてならないのは税金で、決算をして利益が確定したら納税します。税金には法人税と地方税があり、赤字だと法人税は払わなくてもいいけど、地方税のうち均等割という税金は赤字であっても払わなくてはなりません。住民税みたいなものです。 図に示すとこんな風になると思います。 左から売上がインプットされ、それが一旦は「貯蓄」つまり手元資金としてカウントされる。 --手元資金ってどんなイメージ? お店だとレジの引き出しの中にある現金とかその日の売上を預ける当座預金など、通販会社だと売上口座にあるお金などです。会計上は「現預金」つまり現金(レジの中)か銀行預金になりますが、そう言ってしまうといわゆる預貯金と区別できなくなります。そこで、 これ以降の議論を混乱なく進めるために、言葉の使い方をこうしましょう。 貯蓄と 預金はこの議論では別のものとするのです。 貯蓄=(その期の)収入-支出 預金=過去の貯蓄の累積 厳密に言うとこの定義は問題ありなのですが、大筋の論理には影響しないのでこのまま進みたいと思います。 --わかりました。 そして期限が来ると、仕入れ業者に原材料費を払ったり、電力会社に電気代を払ったり、従業員に給料を払ったりします。この時、そのお金は売上つまり「現預金」から支出されるから、その瞬間にその企業の「貯蓄」はドンと減ります。と同時に仕入れ業者や電力会社や従業員の口座(貯蓄)におカネが移動します。もちろん手渡しの場合もありますが、大半は口座振り込みなどでしょう。 --税金はどうなりますか。 納税先は中央・地方の政府で、原則として毎年の決算が終わったら納税します。政府も特別な種類の企業とみなすことができ、違うのは利益を出すことを目的としていないことで、集まった税金は全て各種公共事業投資と諸経費や公務員の給与に使われます。 では利益はど...

増殖するマネーはどこから来るか?

前回は、個人や企業の利益から多額のおカネ(こういう文脈ではマネーというらしい)が「儲け話」に引き寄せられて集まり、結果的に大富豪を誕生させる現象を見てきました。 今日は、なぜおカネは増えるのか、という疑問に正面から取り組み、深刻化する格差問題に挑みたいと思います。 まず、手元にまとまったおカネがあるとして、それを増やすにはどうすれば良いですか。 --それを元手にして商売する。 ああ、それを聞いて安心しました。とても健全な発想だと思います。おカネを増やす最も基本的で正道と言えるのがこれですから。ただ、おカネはあくまでテコとして使うのであって、この場合君が頑張って働くことで増えるんだよね。 おカネだけが自然に増えていく方法はないかな。 --銀行に定期で預けると利子がつき、それを複利で運用すると知らない間に大きく膨らんでいると親が言ってました。 --株を買う。昔は銀行に預けても利息がついたけど、今はほとんどゼロだからこれは無しだな。 株は値下がりしたら増えるどころか減るかもしれないよ。 --でも父は、銀行に預けておくより株を買ったほうがおカネは増えるとよく言ってました。経験からそう言えるんだと思います。そう思う人が皆株を買ったら、株価は平均的に増加する一方ではないでしょうか。 なるほど、株主になると配当金がもらえるし、株価が上昇するなら売り払っても儲けは出るし、銀行預金よりお金は増えるかもしれないね。 --配当金というのかどうか知りませんが、うちは◯◯電鉄の株を持っていたので運賃割引があったことを覚えています。 --うちはデパートの株を持っていて、よく株主優待券をもらってました。でも最近はあまり率がよくないとこぼしてます。 こういう株主優待制度を企業から株主への(割引と言う形を含む)おカネの流れととらえると、配当も含め「そのカネはどこから来るのか(堂免信義)」? --企業からではありませんか。 もちろんそうですが、企業は何を削ってそのおカネをひねり出しているのでしょう。 --利益から配当するのではありませんか。 その通りですね。赤字になると配当はできませんし、利益が少なくてもできません。 でも、上場会社は配当を出さないと自社の株価が下がってしまうので、そうならないようできるだけ利益を出そうとします。では、その利益はどこから来ると思いますか。 --安く仕入れて高く売ることと...

大富豪誕生の秘密

今日はいよいよ格差の問題に迫りたいと思います。 前回までの議論では、閉じた社会ではおカネの総量は変わらないので、誰かが儲ければ誰かがその「犠牲」になると考えてきました。 しかし、普通に経済活動をしていれば、このメカニズムが働いてもそんなに大きな経済格差は生じないと(直感的に)思われます。 では一体、どんな理由で一握りの富豪が世界の富を独占するような格差が生じるのでしょうか。 --お金持ちは会社の経営者などが多いから、その会社が世界的な巨大企業なら給料もケタ違いに多いので、その状態が続けば大きな格差が生じると思います。 給料の違いに原因があるという考えですね。 たしかに年収10億円の人と年収200万円の人の経済格差は大きいですね。 --しかも、お金持ちはゆとりがあるから株式投資などでおカネを増やすことができるけれど、貧乏人はそんな余裕はないのでいつまでたっても貧乏なまま、ということではないでしょうか。私の父がよくそんな愚痴をこぼしていました。 そうすると、仮に最初は皆平等だったとしても、閉じた社会でおカネを回した結果、小さな格差が生じ、今度はそれを元手に豊かな人はさらにおカネを増やしていく、ということですね。 ところで、堂免信義さんは著書の中で「そのカネはどこから来るのか。そのカネはどこへ行くのか」常にそれを考えよと言っています。株式投資などでおカネを増やすと言った場合、増えたおカネはどこから来たのでしょう。 --安い時に買った株が値上がりしたので売ったとすると、その値上がりした株を買った人から来たのではありませんか。 株式投資をする人たちは、先ほどの議論だとある程度豊かな人たちですから、豊かな人たちの間でおカネが移動してより豊かになる人と損する人が出てくるわけですね。 でも、株価の変動は誰もが正確に予測できるわけではないから、株の売買は一種のギャンブルであるとも考えられます。もしそうなら、ギャンブルの結果大金持ちがポンポンと誕生したというのは考えにくいと思いませんか。 --給料でもなく、株式投資でもないとすると、大富豪はどうして誕生したんだろう・・・。 答えを言ってしまうと、 (1)大成功した事業のオーナー(株主)になることで、所有する株式の 時価総額 が膨大になる (2)会社を上場することで 上場益 を得る  (3)会社を売却することで 売却益 を得る の三種類が...