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6月, 2022の投稿を表示しています

おカネは潤滑油

今日はおカネと経済活動の関係について考えようと思います。 まず、おカネの役割って何だと思いますか? おカネがないとどんな点が困りますか? --モノが買えない。生きていけない。 他には? --おカネがあると威張れる(笑)。心配事が減る。心強い。でもこれって、結局はモノが買えるからだと思います。 経済学の本には、おカネの役割として価値の(1)尺度(2)交換(3)貯蔵 の三つがあると書かれています。 (1)はモノの価値を数字で表せること、(2)はモノを売り買いできること、(3)は長く所持していても腐ったりしないことで、皆んなの言っているのは(2)のことだよね。 おカネはモノを流通させる上で不可欠の存在です。 ボクはこれをクルマのエンジンにたとえると、潤滑油(エンジンオイル)みたいなものだと思います。 クルマのエンジンはシリンダーという筒の中に燃料を吹き込んで燃やし、その爆発的な燃焼のエネルギーをピストンを経由して回転エネルギーとして取り出す装置ですが、ピストンとシリンダーの間に生ずる摩擦を減らすために潤滑油が必要不可欠なのです。 このたとえで言うと、爆発によるピストンの運動が経済活動で、潤滑油がおカネに相当します。 潤滑油はエンジンを回すために必須ですが、おカネも経済を回すために必須なので、堂免信義さんはこれを「社会の公器」と言っています。公共のものという意味です。個人が勝手におカネを退蔵すると経済が回らなくなるので、そんなことをしてはいけないのです。 --おカネがあれば全国どこでもモノが買え、モノが売れれば経済活動も活発になる。それがエンジンが動くという意味ですね。 そうです。 ただし、エンジンオイルは多すぎても少なすぎてもいけないのです。 多すぎるとマフラーから白煙を吹いて、アイドリングが不安定になったり、エンストを起こしやすくなったりし、最悪の場合はオーバーヒートから火災につながりかねません。 少なすぎる場合は、ピストンとシリンダーの接触面が摩擦で高温になり、焼き付きという現象を起こしてエンジンが壊れてしまいます。 おカネの場合も同じで、経済活動の量よりおカネが多いとおカネの価値が下がってインフレとなるし、おカネが少なすぎるとデフレになります。さらに、おカネの価値が簡単に変わると社会が不安定になるので、これらはできるだけ避けなくてはなりません。 --おカネの量は調節...

国債について考える

今日は国債に関する堂免信義さんの発見についてお話しします。 国債というのは、国が借金した時に発行する「国庫債権」という名の借用証書です。 利息は国債を買った時の<実勢>で決まり、満期になって償還されるまで変わりませんが、中には変動するタイプのものもあるようです。ボクは買ったことがないので知りませんが、実物はこんなものです。要するに一枚の紙切れです。  でも、最近は株式のようにペーパーレス化が進み、紙の国債はほとんど姿を消しました。 --国債は誰が買うんですか? 主に銀行や証券会社、保険会社などの金融機関ですが、個人国債と言って個人が買うことのできるものもあります。 何しろ国が発行するものだから一番信用があり、結構人気があります。 額面の金額と毎年受け取れる利子の割合が国から示され、ヨーイドンで入札となって、高く買ってくれる人から順に落札していきます。 --どうして国がそんなギャンブルみたいな形でおカネを集めるのですか? 入札はギャンブルではありません。人気があり、買いたいという人が多いのでこうしているのです。 国債を発行して集めたおカネは、もちろん国の政策を実行するために使われます。 そういう意味では、税金を取り立てて道路や橋などを作ったりするのと変わりはありません。 --それなら税金でやればいいんじゃないですか? その通りです。税金でやればいいんです。 ただ、やらなくてはならないことが多すぎて、一度にたくさん税金を取り立てるのが難しい場合に国債に頼るのです。 例えば大きな地震に見舞われ、インフラが破壊されてしまったような時、その修復にかかる費用を一度に徴税することは無理ですから、 そんな時、国債を発行して費用を捻出するのです。 他の例では、戦争はお金がかかる「事業」なので、国は「戦時国債」を発行して武器弾薬を購入する費用に充てました。その戦時国債は、先の大戦の場合、日本が負けてただの紙くずになってしまいましたが。 --国債は税金と似たような目的で発行されることはわかりましたが、それがどうして国民への贈与になるんですか? 税金は納めると「納税証明書」という領収書がもらえます。でも、国債を買うと先ほど見たような「借用書」をもらえます。借用書は期限が来ればおカネになる「金融資産」ですから、これは国民への贈与と言って良いのではないでしょうか。 --でも、期限が来た時に国...

社会全体のおカネを増やす方法

前回は、社会の中をグルグル回るおカネの性質について学びました。 今日はおカネで幸せになる方法について議論したいと思います。 --そんなの簡単。おカネをたくさん手にすれば幸せでしょ。 --おカネは使ってなんぼ、だから、使わないと幸せにはなれないよ。 --使うって言っても、お前みたいにゲームにつぎ込んでいるようじゃ幸せにはなれないな(笑)。 いろいろな意見が出たね。 ボクは貧乏だからおカネを持っているだけでも幸せだけど(笑)、たしかに使って初めて幸せな気持ちになれるのかもしれないね。それに、何に使うかも大事なポイントだね。 でもとりあえず、 おカネはたくさんあるに越したことはない 、としておこう。 前回は、経済活動をしているうちに、ある人は手持ちのおカネが増えるけど、別のある人はその犠牲になって減るという現実があることを見たけれど、さっきの議論だと、それは全員がおカネに関して幸せになることはできないって意味だよね。 全員がおカネに関して幸せになることができる社会って、実現不可能なんだろうか。 --おカネの量が増え続けないと、無理。 そうだね。 じゃあ、どうしたら社会全体のおカネを増やすことができると思う? --輸出を増やす。 なるほど、外国にものを売れば代金が入ってくるからね。 社会全体のおカネを増やすには、結局外から注入するしかない のだから、輸出は第一候補だな。 でも、海外とのやり取りを考え出すと、為替の問題なども絡んできて見通しが悪くなるから、以降の議論では輸出と輸入については除外することとさせてください。つまり、 金額ベースで輸出と輸入が同額と考えるという意味です。 そうした場合、社会全体のおカネを増やす方法はないだろうか?  --誰でも欲しがるようなめっちゃカッコイイ商品を売り出す。 ほー、どうしてそれが社会全体のおカネを増やすことになるの? --だって、皆んな無理しても買うだろうから、消費が増え経済が元気になる・・・。 買うためのおカネはどこから出てくるの? --貯金をおろします。 ああそうか、社会全体の5万円とは別に皆さん貯金を持っているんだ。 生活するのに使い回しているおカネ以外にストックがあれば、それを崩せばおカネの総量は増えるのは当然だね。 でも、ここでの議論は何もかも含めて社会全体には5万円しかないという前提なので、貯金はないものとしよう。 ちなみ...

使ってもカネは減らない、動くだけ(堂免信義)

堂免信義さんの経済の見方は、ある意味単純です。 言われてみれば、「そんなの当たり前でしょ」と思うのですが、初めて聞くと「え?」となります。 例えばこんな具合です。 使っても使ってもお金は無くならない 儲けの陰には必ず誰かの犠牲がある 借金すれば世の中は豊かになり、借金を返せば世の中は貧しくなる --えー、そんな馬鹿な。 やっぱりそう反応しますか。 たしかに、これらは一見すると常識と真逆ですよね。 お金は使えば無くなるのが当然で、無くならないお金があるならぜひ欲しい! 儲かるのは運もあるけど自分が努力したからで、誰も犠牲になんかしていない! 借金はせずに済めばそれに越したことはなく、仮にしても返すのが当たり前! そう反発する人が多いと思います。 でも、これらの”堂免節”は一人一人の経済(ふところ勘定)について言っているのではなく、社会全体の経済について言っているのです。 --わかりません。 じゃ、仮に世界がここにいる5人だけで成り立っているとして、初めは平等に各人が一万円ずつ持っているとしましょう。社会全体では五万円のお金があるわけです。 そして、皆んなそれぞれ何かを売り、またそれを買って生きて行くとします。 例えば君はお米、君はお肉、君は・・・。 --お酒! ははは。酒がなくては生きていけない人もいるかもね。 とにかく、こんな風にしてお互いに何かを売ったり買ったりしながら生活していくと思ってください。 --ものじゃなくて、サービスでもいいですか。 サービス、結構ですよ。 --じゃあ、私は肩たたき屋さん! ああ、ボクも昔、母の日にお母さんに「肩たたき券」なるものをプレゼントしたことがあったな。 --(笑) さて、こんな風にして一年経ったとしましょう。 そうすると、ある人は手持ちのお金が一万円以上になっているかもしれないし、ある人は五千円くらいに減っているかもしれません。 でも社会全体としては、お金は相変わらず五万円のはずです。 わかりますか? --うん、わかる。だって、何か買ってお金を払っても、そのお金は相手に渡るだけで消えて無くなるわけじゃないから。 その通り! 堂免さんの本には、まずそんなことが書かれています。 そしてここから始めに述べた「儲けの陰には必ず誰かの犠牲がある」という定理が導かれるんですが、これはわかるかな? --おかしいと思います。お金を払うと自分の...

はじめに

日本の貧困率がG7中、米国に続いてワースト2に入るという報道がありました。ひとり親世帯に限ると、なんとOECD35ヶ国中のワースト1位だそうです。かつてジャパン・アズ・ナンバーワンともてはやされていた国が今やジャパン・アズ・ビンボー・ナンバーワンです。 貧困率というのは少しわかりにくい概念ですが、ざっくり言えば国民の平均可処分所得つまり自由に使える収入の半分を下回る人の割合のことです。 手元の資料を見ると、1997年には日本の平均可処分所得はほぼ300万円、それが2018年になると253万円に激減します。他の国は軒並み賃金が上昇しているのに、です。 その半分未満の収入ということは年間127万円以下、月額にすると10万円となります。 家賃から一家の食費や洋服代、医療費からスマホやパソコンの通信費までオール込みで月10万円以下の暮らしは、体験した人でないとわからないと思います。少なくともボクには想像もつきません。もちろん彼らに貯蓄など絶対無理です。しかし、ひとり親世帯の実に50.8%がこんな暮らしに追いやられているのだそうです。 平均値で見てこのような状況ですが、個別に見るとまさに目を覆いたくなるような惨状です。 このような経済情勢下において、日本全体で貯蓄ゼロ世帯は13.4%に上るそうですが、母子世帯に限れば貯蓄ゼロ世帯の割合は31.8%に跳ね上がります (いずれも2019年) 。 ボクは高齢者ですが、普通高齢者といえば、豊かな金融資産に恵まれ悠々自適で老後の生活をエンジョイしているとみられることが多いと思います。そういう人もいるでしょうが、それはほんの一握りで、多くは健康不安を抱えながら少ない年金をやりくりしてその日その日を過ごしている人が大半でしょう。 そのことは、( いずれも2015年の値ですが) 65歳以上の高齢者のいる世帯の貧困率が27%だという事実からも想像できます。我々の仲間の四人に一人以上が月10万円で暮らしていると知ると、複雑な気持ちになります。この数字はひとり暮らしになると跳ね上がり、おばあさんのひとり暮らしではなんと半分以上の50.8%に上るそうです。 それでいて、日本は31年連続で世界一の債権国(お金持ち)だというのですから、一体何がどうなっているんだと声をあげたくなります。 このサイトは、そんな素人の素朴な疑問に寄り添って経済のイロハを論じた...