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おカネは潤滑油

今日はおカネと経済活動の関係について考えようと思います。
まず、おカネの役割って何だと思いますか?
おカネがないとどんな点が困りますか?

--モノが買えない。生きていけない。


他には?

--おカネがあると威張れる(笑)。心配事が減る。心強い。でもこれって、結局はモノが買えるからだと思います。


経済学の本には、おカネの役割として価値の(1)尺度(2)交換(3)貯蔵 の三つがあると書かれています。
(1)はモノの価値を数字で表せること、(2)はモノを売り買いできること、(3)は長く所持していても腐ったりしないことで、皆んなの言っているのは(2)のことだよね。
おカネはモノを流通させる上で不可欠の存在です。
ボクはこれをクルマのエンジンにたとえると、潤滑油(エンジンオイル)みたいなものだと思います。
クルマのエンジンはシリンダーという筒の中に燃料を吹き込んで燃やし、その爆発的な燃焼のエネルギーをピストンを経由して回転エネルギーとして取り出す装置ですが、ピストンとシリンダーの間に生ずる摩擦を減らすために潤滑油が必要不可欠なのです。
このたとえで言うと、爆発によるピストンの運動が経済活動で、潤滑油がおカネに相当します。潤滑油はエンジンを回すために必須ですが、おカネも経済を回すために必須なので、堂免信義さんはこれを「社会の公器」と言っています。公共のものという意味です。個人が勝手におカネを退蔵すると経済が回らなくなるので、そんなことをしてはいけないのです。

--おカネがあれば全国どこでもモノが買え、モノが売れれば経済活動も活発になる。それがエンジンが動くという意味ですね。


そうです。
ただし、エンジンオイルは多すぎても少なすぎてもいけないのです。
多すぎるとマフラーから白煙を吹いて、アイドリングが不安定になったり、エンストを起こしやすくなったりし、最悪の場合はオーバーヒートから火災につながりかねません。
少なすぎる場合は、ピストンとシリンダーの接触面が摩擦で高温になり、焼き付きという現象を起こしてエンジンが壊れてしまいます。
おカネの場合も同じで、経済活動の量よりおカネが多いとおカネの価値が下がってインフレとなるし、おカネが少なすぎるとデフレになります。さらに、おカネの価値が簡単に変わると社会が不安定になるので、これらはできるだけ避けなくてはなりません。

--おカネの量は調節できるのですか?


できなくはありませんが、簡単ではありません。特に一旦増やしたおカネを減らすのは難しい場合が多いのです。
ボクが心配するのは、国債発行により社会全体のおカネが増えた場合です。
投資をするために銀行からおカネを借りることで信用創造が起き、それが社会全体のおカネを増やす場合は、借金が返済されると一旦増えたおカネは消滅します。堂免さんはこの現象を「消滅経済」と呼んでいます。
しかし国債の場合は、現実には一方的に国民に贈与されるだけで返済されませんから、それにより生じたおカネはたまる一方となります。
日本の民間金融資産が、不景気にもかかわらず巨額に上るという話は、このようなカラクリによるものなのです。
いや、むしろ不景気だから税収が減り、その代わりとして国債を増やさざるを得ず、その結果民間金融資産が増えるのです。これも堂免信義さんの指摘で、彼は実際のデータでその推測が正しいことを示しています。

--先ほどおカネが多すぎるとインフレになると言われましたが、この期間も日本はデフレだデフレだと言われ続けてきたのではありませんか? 国債発行が原因でおカネが多すぎるという説と矛盾するような気がします。


それは重要なポイントです。
おカネが多すぎるとインフレになるというとき、実は社会の購買力が十分あることが前提となっているのです。
つまり、おカネが社会の隅々にまで行きわたっている状態でインフレが起きるのですが、一部の人だけにおカネが配られ多くの人が貧しいままだと購買力がありません。そんなときには日用品、生活必需品、光熱費などの値段は簡単に上げられない/上がらないのです。

--それでは積み上がったおカネは何に使われるのでしょう?


不動産や絵画などの実物資産、株式などの金融資産に向かいます。
今起きているのは資産インフレなのです。
これだけ日本が貧困化したと言われながら、一方で株式相場は上昇し、マンションやビル、土地などの不動産価格が軒並み上がっているのは、一部に相当のおカネが集まってだぶついているためだと思います。
ただ、コロナ禍に続くウクライナ侵攻が世界経済に想定外のインパクトを与えており、すでに海外では急激なインフレが始まっていて、その影響が日本にも及び始めていますから、今後は一般の消費者物価も跳ね上がっていくとみられています。
そうなると貧困家庭や年金生活者の暮らしは大きなダメージを受けることになるでしょうね。

--国債発行が国民への贈与になり、すでに巨額の民間金融資産が積み上がっているという堂免説は、我が家を見ても周囲を見てもあまりピンときません。


それこそが格差問題のポイントです。
ボクは民間に積み上がった巨額の金融資産なるものは、何かの仕掛けを介して実は一握りのお金持ちのものになっていて、それこそが格差の実態なのではないかと思うのです。
最初に議論した5人でおカネを回し合う話を覚えていますか。お互いにモノやサービスを売り買いすれば、誰かは儲かり、別の誰かはその「犠牲」となって損するわけですが、その程度の格差では現在の深刻な状況を説明することはできないと思います。
そこには何かまだ知られていない「ファクターX」があるのではないか。
ボクは、おカネの持つもう一つの性質、「増殖性」にヒントがあると考えています。
紙幣をそのまま放置しておいても決して自分で増えることはありませんが、世間では「お金は増えるもの」と当然のように考えられています。その考えの下では、余裕のあるお金を「利殖」に回して増やすのが常識なのですが、そもそもおカネはなぜ増えるのでしょう。その場合、何が「犠牲」になるのでしょう。
次回はこの問題を取り上げたいと思います。

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