スキップしてメイン コンテンツに移動

国債について考える

今日は国債に関する堂免信義さんの発見についてお話しします。
国債というのは、国が借金した時に発行する「国庫債権」という名の借用証書です。
利息は国債を買った時の<実勢>で決まり、満期になって償還されるまで変わりませんが、中には変動するタイプのものもあるようです。ボクは買ったことがないので知りませんが、実物はこんなものです。要するに一枚の紙切れです。



でも、最近は株式のようにペーパーレス化が進み、紙の国債はほとんど姿を消しました。

--国債は誰が買うんですか?


主に銀行や証券会社、保険会社などの金融機関ですが、個人国債と言って個人が買うことのできるものもあります。
何しろ国が発行するものだから一番信用があり、結構人気があります。
額面の金額と毎年受け取れる利子の割合が国から示され、ヨーイドンで入札となって、高く買ってくれる人から順に落札していきます。


--どうして国がそんなギャンブルみたいな形でおカネを集めるのですか?


入札はギャンブルではありません。人気があり、買いたいという人が多いのでこうしているのです。
国債を発行して集めたおカネは、もちろん国の政策を実行するために使われます。
そういう意味では、税金を取り立てて道路や橋などを作ったりするのと変わりはありません。


--それなら税金でやればいいんじゃないですか?


その通りです。税金でやればいいんです。
ただ、やらなくてはならないことが多すぎて、一度にたくさん税金を取り立てるのが難しい場合に国債に頼るのです。
例えば大きな地震に見舞われ、インフラが破壊されてしまったような時、その修復にかかる費用を一度に徴税することは無理ですから、そんな時、国債を発行して費用を捻出するのです。
他の例では、戦争はお金がかかる「事業」なので、国は「戦時国債」を発行して武器弾薬を購入する費用に充てました。その戦時国債は、先の大戦の場合、日本が負けてただの紙くずになってしまいましたが。


--国債は税金と似たような目的で発行されることはわかりましたが、それがどうして国民への贈与になるんですか?


税金は納めると「納税証明書」という領収書がもらえます。でも、国債を買うと先ほど見たような「借用書」をもらえます。借用書は期限が来ればおカネになる「金融資産」ですから、これは国民への贈与と言って良いのではないでしょうか。


--でも、期限が来た時に国債をおカネにするのは政府ですよね。その費用は結局国民が税金で負担するのではありませんか? 贈与されたとしても、結局取り返されてしまうことになりませんか?


それが違うんだな。
国債をおカネにする(償還する)財源は、現状では再び国債でまかなうんですよ。
期限が来たら国債は償還されるけど、再び同額の国債が発行され、かくて自転車操業が続くわけです。
税金の代わりに国債が使われるとなった時点で、国民は税金免除という形で政府から贈与してもらっていると言っても同じです。


--それがいつまでも続くとしても、別に困らないじゃないですか?


いやいや、困るんですよ。
このやり方だと、過去に発行された国債を引き継いでいくことはできても、新しい資金需要には対応できません。
たとえば明日大災害に見舞われたらどうしますか?
対応するにはさらに別の国債を発行しなくてはならず、国債の総額はどんどん膨らんでいきます。
また、国債には利子がつきますから、それを払うためにもさらに新規の国債発行が求められ、かくして国債は雪だるま式に増え続けてしまいます。
財務省だけでなく、多くの経済学者もそれを憂慮しているのです。


--あれ? 前回、国債は国民の借金だというのは財務省の言い分にすぎないと言いましたよね。今度は財務省の肩を持つのですか?


整理してみますね。
【現状は堂免説】
現状は、政府予算の執行も国債を償還する費用も新規国債の発行に頼っているので、つまりは堂免説になります。そして国債を発行すればするほど、国債証書、つまりは国民の金融資産が増えて行くことになります。政府が国民にどんどん贈与しているからです。
【あるべき論は財務省】
この問題を解消するには、もともと税金でまかなうべき政府予算の執行を今後は国債に頼らないこととし、今ある国債も全て償還してスッキリさせたい、そのためには大増税が必要だよ、というのが財務省の言い分です。
諸悪の根源は、税金の代わりに国債が発行され、その負担を代々国にツケ回ししていることにある、という考えです。
現状は堂免説、あるべき論は財務省ということです。


--あるべき論で頑張るしかないのでは?


そうすると大増税+大緊縮政策になります。
こんなことをすれば、一瞬にして日本経済は崩壊します。
それは誰もが分かっているので、いつまで経っても手が打たれないんですよ。


--どうしたらいいのでしょう。


最近、現代貨幣理論(MMT)というのが流行っていて、それによると「自国通貨を発行できる政府は国債の償還(満期の支払い)に紙幣を印刷することで対処できるから問題ない」のだそうです。
自国通貨を発行できる政府と言ってもピンからキリまでさまざまですから、一概に「問題ない」と言い切れるかどうか疑問ですが、ボクはMMTの他の主張を総合して考えるとおおむね正しいのではないかと思っています。
平たく言えば、そもそも通貨というものは経済活動を円滑にするための潤滑油のようなものであり、経済活動の規模に見合った量が供給されなくてはならないという原則があります。
規模に見合った量というその前提が守られる限り、印刷しても問題ないはずです。
これについては、次の機会に検討することにしましょう。
また、堂免さんは、国債に頼らない「経済革命」方式を提案されています。これについては後半で扱いたいと思います。

コメント

このブログの人気の投稿

マルクスの錯覚

堂免さんの最後の著書のタイトルは『脱・資本論』ですが、彼の議論は企業利益についてのマルクスの分析を超えているという意味でまさに的確なタイトルだとボクは思うんだ。 --マルクスは企業利益についてどんな風に理解していたんですか。 彼は資本論という有名な著書の中で、利益は資本家が労働者を搾取するところに生まれると述べています。いや、実を言うとボクも読んだわけではないが、解説書にはそう書かれている(笑)。 易しく言うと、マルクスは労働力というものを一種の「商品」としてとらえ、この商品は毎日適量の睡眠と食事を与えれば復活すると考えたんだ。資本家が労働者に給料を払うのはこの復活を保証するためで、労働者は住む家の家賃とパン代があれば毎日復活し、再び自分の労働力を商品として売ることができる。つまり、給料は資本家から見れば労働力を「再生産」するための手段という位置付けとなるんだよ。他の商品は給料などというものを必要としない代わりに復活しないから、労働力は特殊な商品ということになる。 --なんか、非人間的なとらえかたですね。 資本主義の根底には、人間をカネで買える商品ととらえるような冷酷な人間理解が潜んでいるとボクは思うな。それが現在の格差問題にも顔を出しているんだ。 さて、利益と搾取の話に戻ると、資本家は工場を作りそこで労働者にパンを作らせ、労働者はそれを食べて自分の労働力を「再生産」し、翌日もまたパンを焼く。これには1日3時間働けば十分だが、資本家は労働者をもっと働かせてワインも作ろうと考えた。そこで10時間働かせてパンとワインを生産するようになったが、給料は3時間分しか払わなかった。なぜなら、労働力商品を再生産するにはパンだけで十分だからだ。つまり7時間分の給料を搾取したわけで、これが資本家の利益になる、と考えたわけだ。 --そう聞くと、こういう考えもまたありかなと思ってしまいますが、どこがおかしいのでしょうか。 これまで議論してきたおカネの流れを見れば明らかと思う。パンとワインを買ってくれるお客さんは、社会全体としてみた場合、十分居るだろうか。 --低賃金の労働者だけでは足りませんね。 その通り。 マルクスが資本論を書いた時代には、まだ全ての労働者が資本家から給料をもらって働く賃労働者ではなく、たぶんそれ以外の人々、たとえば王侯貴族とか裕福な商人とか、あるいは農家などの非製造業...

銀行についての錯覚

今日は、銀行についての錯覚について学ぼうと思う。これも堂免信義さんの指摘なんだが、言われるまで気がつかなかったと言う意味では同じ種類の錯覚と言って良いと思うよ。 それは何かというと、世の中に新しくおカネを作り出しているのは銀行だということです。しかも、ただコンピュータで数字をいじるだけ、通帳に数字を印字するだけでそれを行っているのに、高額な利息まで取っているという話です。 --日銀がおカネを作っているのではないのですか。 日銀は、民間の銀行の要求に応じてお札を刷るけれど、おカネを新規に発行する現場は民間銀行なんだ。 つまり、ひらたく言えばこういうことさ。 君が家を建てようとして三千万円の住宅ローンを組むだろう。そうすると銀行は君の口座に30,000,000という数字を書き込み、通帳に印字する。ただそれだけで、この世の中に新しく三千万円のおカネが誕生するんだ。 ただし、この段階ではまだ数字だけ。しかし、いよいよ住宅建設業者におカネを払う時にはこれがリアルマネーとなって動き出すんだ。つまり君の口座から業者の口座に数字が移動し、業者が引き出す段階で初めてお札が必要となり、それが社会に流通していくということさ。 この時、銀行は預金という形で預かっている利用者のおカネ(お札)を使うんだけど、もしそれが足りなかったら銀行が日銀に預けているおカネ(お札)を引き出し、日銀に現金が足りなくなったら新しいお札を印刷するわけだよ。業者が別の銀行から引き出す場合も、銀行間の送金は日銀にある銀行の取引口座間で電子的に行われるから手間はかからない。 このように社会的に確かな需要の裏付け(三千万円の住宅ローン)があるからお札を印刷するわけで、日銀が新しくおカネを生み出したわけじゃない。生み出したのはあくまで民間の銀行なんだ。 これを専門用語で信用創造と言います。 --銀行は預かっている利用者の預金の中から貸し出すのだと思っていました。そういうのを間接金融と言い、株式を発行して直接おカネを調達するのが直接金融と言うと習った気がしますが。 その意味では、銀行はもはや間接金融ではなく直接金融をしていると言っても過言ではないだろうね。 間接金融の場合、貸し手は預金者で借り手は企業や家計、銀行はその仲介をして手数料を取るんだけど、これを直接金融と見れば貸し手は銀行で、借り手は企業や家計というわけだ。 もち...

大富豪誕生の秘密

今日はいよいよ格差の問題に迫りたいと思います。 前回までの議論では、閉じた社会ではおカネの総量は変わらないので、誰かが儲ければ誰かがその「犠牲」になると考えてきました。 しかし、普通に経済活動をしていれば、このメカニズムが働いてもそんなに大きな経済格差は生じないと(直感的に)思われます。 では一体、どんな理由で一握りの富豪が世界の富を独占するような格差が生じるのでしょうか。 --お金持ちは会社の経営者などが多いから、その会社が世界的な巨大企業なら給料もケタ違いに多いので、その状態が続けば大きな格差が生じると思います。 給料の違いに原因があるという考えですね。 たしかに年収10億円の人と年収200万円の人の経済格差は大きいですね。 --しかも、お金持ちはゆとりがあるから株式投資などでおカネを増やすことができるけれど、貧乏人はそんな余裕はないのでいつまでたっても貧乏なまま、ということではないでしょうか。私の父がよくそんな愚痴をこぼしていました。 そうすると、仮に最初は皆平等だったとしても、閉じた社会でおカネを回した結果、小さな格差が生じ、今度はそれを元手に豊かな人はさらにおカネを増やしていく、ということですね。 ところで、堂免信義さんは著書の中で「そのカネはどこから来るのか。そのカネはどこへ行くのか」常にそれを考えよと言っています。株式投資などでおカネを増やすと言った場合、増えたおカネはどこから来たのでしょう。 --安い時に買った株が値上がりしたので売ったとすると、その値上がりした株を買った人から来たのではありませんか。 株式投資をする人たちは、先ほどの議論だとある程度豊かな人たちですから、豊かな人たちの間でおカネが移動してより豊かになる人と損する人が出てくるわけですね。 でも、株価の変動は誰もが正確に予測できるわけではないから、株の売買は一種のギャンブルであるとも考えられます。もしそうなら、ギャンブルの結果大金持ちがポンポンと誕生したというのは考えにくいと思いませんか。 --給料でもなく、株式投資でもないとすると、大富豪はどうして誕生したんだろう・・・。 答えを言ってしまうと、 (1)大成功した事業のオーナー(株主)になることで、所有する株式の 時価総額 が膨大になる (2)会社を上場することで 上場益 を得る  (3)会社を売却することで 売却益 を得る の三種類が...